「これはこれは、ルネ様自らおいでとは光栄です」
高級品の溢れる部屋に迎え入れたその男は、笑顔の奥に探るような視線を向けた。
漆黒のソファーに座らされると、ルネも負けず劣らずの笑顔を浮かべる。
「こちらこそ、急な訪問に快く対応して頂き感謝致します」
「それで、そちらの方は?」
「あぁ・・・・・・」
今気付いた、というように隣の男に視線をやる。
「こっちは僕の新しい部下。カワイイだろ?・・・・・・いっ!」
ぎゅ、と足を踏みつけながらスーツに身を固めた男は丁寧にお辞儀をした。
「クロフォードと申します。今後とも宜しくお願い致します」
「・・・・・・いえ、こちらこそ」
「まだまだ新人だからお手柔らかに。そうそう、彼にはね、近い将来僕の経営権を譲ろうかと考えているんだ」
予想していなかったその言葉には、僅かに男の表情が曇った。
「連絡した株の件もね、彼が話したいって言うもんだから挨拶ついでに伺わせて貰ったんですよ」
「・・・・・・そうですか」
漆黒のスーツを着こなし、眼鏡の奥から真っ直ぐにこちらを見据えてくるクロフォードと名乗る男。ルネという派手な男の隣にいるせいだけではない、如何にも真面目そうな・・・・・冷たい雰囲気を持った男だった。
「この件に関しての決定権は既に私にあることをご了承の上でお聞き頂きたいのですが」
「・・・・・・えぇ」
「本日9時の時点であなた方の持ち株は42%、こちらが58%買い戻しました。それを踏まえた上でひとつ提案があります」
相手の興味を引き出す絶妙な間を置いた後、シュンは重々しく両手を握った。
「流石に今から買い戻すのにはお互いに金銭的なロスが伴います。そこで・・・・・・こちらと、あなた方。共同経営という形でお互いの取り分を交渉させて頂きたい」
男の探るような視線が更にきつくなるのを感じた。
昨日までルネ達の持ち株は僅か30%だった筈だ。それが一日で50%を超えるとは考え難い。
「少々お待ち頂けますか」
男は控えていた部下を呼ぶと、小型のパソコンを広げさせた。
無機質な画面に映るのは“LRF58%”の文字。
・・・・・・まさか。
「如何なさいました?」
顔色が変わった男に、シュンは声を掛けた。
「分かりました・・・・・・その話、お受けしましょう」
「それは良か」
「ただし」
シュンの安堵を遮り、男はキツい視線を投げかけた。
「うちに6割、が条件です」
その言葉にはシュンの視線が揺らいだ。
男はそれを見逃すことなく話を進める。
「分かっておいでだとは思いますが、この件に関して先に仕掛けたのは私共です。あなた方が集めた株主たちも私の息が掛かっている」
それは暗に“いつでも買収は可能”だと公言しているようなものだった。
もしそれが真実であれば共同経営どころか、組織への侵食を許す事になってしまう。
ピリピリとした冷たい空気が、この部屋を取り巻いていた。
「・・・・・・分かり、ました」
先に口を開いたのはシュンだった。
「それは有り難いことです」
気が重い、というような雰囲気で、シュンは持っていた黒いアタッシュケースから書類を出し、洗練された動きでそれを机に置く。
そしてジャケットの内ポケットから銀の万年筆を取り出した。
「本気かい?シュン」
流石に危険な取り引きに、ルネは口を開く。
「損失が大きいのは分かっておりますが・・・・・・今回だけは見逃してください。私の力量不足で申し訳ありません、“ボス”」
・・・・・・オイオイ、余裕綽々じゃないか。
微笑みたい衝動を抑えながら、いかにも“失望した”と言うように眉間に皺を寄せる。
「・・・・・・信頼の置ける部下だと思ったんだけど、僕の思い過ごしだったようだね」
「申し訳ありません」
恐縮するシュンにわざとらしく溜め息を吐いて、威厳を見せる為に大きく腕を組んでみせた。
「理解ある方でこちらとしては嬉しい限りですよ」
「・・・・・・書類は2枚です。権利譲渡の契約書、そして手続きを行う為の必要事項。これらを記入していただいた時点で契約は成立致します」
「あぁ」
ほどなく全ての書類に筆を滑らせ、あとは責任者であるシュンのサインだけとなった。
「それでは」
契約を交わそうと左手にペンを持った時だった。
「あぁ、ひとつ追加してくれませんか」
不意に男が口を開いたのは。
「・・・・・・何でしょう」
「私共の取り分を8割に変更して欲しいのですが」
「一体何のご冗談・・・・・・」
視線を上げた時には、既に数人の部下達が二人を取り囲んでいた。
・・・・・・マズイな。
ルネには悪いけど、正直オレ運動とかダメだしなぁ。確実にムリ。100%ムリだ。
ちらりと隣のルネに目をやると、いつもの調子でウィンクを返してきた。
・・・・・・ナルホド。
「分かりました・・・・・・その条件でサインさせて頂きます」
慣れた手つきでゆっくりとペンを走らせた。
ふ、と男達の気が緩んだその一瞬。
ルネの姿が消え、変わりに囲んでいた数人の男達が吹っ飛んでいた。
「この・・・・・・ッ!」
最後の部下も銃を出す時間すら与えずに倒してしまう。
あっという間だった。
「交渉決裂、だね」
袖のホコリ軽く払って、振り向く。
「・・・・・・・・っていうか何ナチュラルに捕まっちゃってんの、シュン」
呆れた様子で思いっ切り溜め息を吐くと、男に銃を突きつけられているシュンに向かった。
「いや、悪い。ホント」
全く悪気の感じられない彼に、どうしていいものか・・・・・・むしろもうどうでもいいんじゃないかとすら思えてきた。
「今無性にルディアの気持ちが分かった気がするよ」
「・・・・・見捨てたな?今確実に」
ピンチにも関わらず緊張感のない二人に、男はシュンのこめかみに更に強く銃を当てた。
「大人しく引いた方が身のためですよ」
既にサインしてしまっている権利譲渡書を手に、男は笑った。
「ホラ・・・・・・どうするの、シュン」
色々な意味で困ったような表情を浮かべると、呆れたようにルネは腰に手を当てる。
「ったく―――――――――分かってる・・・・・・よッ!」
ゴッ、と鈍い音を立てて、男の額に肘が当たった。
「お、やるねー」
ドサリと倒れた男を見下ろすと、シュンは詰めていた息を吐き出した。
「・・・・・・良かった、キースに“後ろからのセクハラ対策”習ってて」
「前からは?」
「さあ」
「・・・・・・本当に危険なコトばかりするね、君は」
荷物を片付けようとテーブルに近付いたシュンの頬に、キツイ痛みが走った。
「まだ、交渉中ですよ」
二人はゆっくりと男の方へ向くと、握られたその銃を見つけ、同時に溜め息を吐いた。
「・・・・・・浅いよ、シュン」
「アレが精一杯だ」
彼の頬から、細く、血が流れる。
この距離で銃が相手となると、流石にルネも動けない。
シュンは暫く黙り込んだ後、俯いたまま眼鏡を上げた。
そして何を思ったのか・・・・・“上司”を庇うようにして、一歩前に出た。
「・・・・・コラ」
「この件に関しては“私”が責任者です。彼は全く関知しておりませんので・・・・・・私が死ぬような事が起これば、カジノの権利はあなたにあります。そして目撃証人が、ルネという事です」
――――――――つまり、殺すなら彼だけじゃなければその権利は無効だと、そういう意味か。
勝手な事を口走るシュンに苛立ちを覚えた。
「君が消えたら僕が殺されるんだけど」
「はは、みんなには上手く言っといて」
男は躊躇い無く引き金に指を掛けた。
「では、お言葉に甘えて・・・・・・」
――――――――ふざけるなよ、全く。
「お会い出来て光栄でした、クロフォードさん」
もう、ダメなのか。
そう思ったとき、電話がけたたましい音を立てて空気を切り裂いた。
「・・・・・・鳴ってますよ」
銃を向けたまま、男は受話器を取る。
すると、静寂な部屋に電話の向こうから、低い男の声が響いてきた。
“おい、そこにクロフォードという男が来たか”
「ボス・・・・・・!」
とたんに、男の顔色が青ざめていくのが分かった。
“彼だけには手を出すんじゃない。そうなれば・・・・・・・・・・ココは終わりだと思え”
「なっ!」
恐怖に目を見開く男を横切り、シュンは受話器を取った。
「お久しぶりです、Mr.Sean」
電話越しの男の雰囲気が固まった気がした。
「今そちらの方に銃を向けられていた所です。威勢があって羨ましい限りですね」
“・・・・・・無知な人間だからな。ウチの若いのが申し訳なかった”
「あぁ構いませんよ・・・・・・私も落ち度がありましたし。しかしこうなると、個人的にあなたを敵視しなければならなくなる」
“―――――――――どうすればいい”
聞いた事もないであろうボスの余りに弱々しい反応に、隣に立つ男は唖然としていた。
既に彼など眼中にないというように、シュンは淡々と言葉を続ける。
「そうですね・・・・・・ウチのモノに二度と手を出さない事、それと月一割、で手を打ちますが?」
・・・・・・月に売上の一割を献上だと?有り得ない!ボスが納得する訳が・・・・・・。
“――――――――――――分かった、そうしよう”
しかし聞こえて来たのは、男の気持ちをあっさりと裏切る言葉だった。
「ありがとうございます。それでは、私も多忙なもので・・・・・・失礼します」
相変わらず唖然と立ち竦む男に受話器を投げると、さっさと荷物を片付け始める。
アタッシュケースを手にして、シュンはルネに向かって恭しくお辞儀をした。
「お手数をおかけして申し訳ありませんでした。行きましょう、“ボス”」
「あ・・・・・・あぁ」
ドアの向こうから、必死に許しを乞う男の声が聞こえていた。